ただただ生きよう。
最近、自分自身の環境をいろいろ変えることによって、人生のペースがだいぶ変わった。
生きる意味なんて、生まれた時からないのだから、心配せずに好きな人生を歩むことが大切だと、しっかり気づかせてもらった。この世界に。
犯罪など、人に迷惑を掛けないことは前提条件。
人がして欲しいと思うことは、最終的にビジネスになる可能性もあり。
人生、一生懸命サラリーマンやるだけじゃ損かもしれない。
自分は何がしたい? その問いにしっかり向き合うことが大切。
その問いに向き合った時、サラリーマンをやめた時の経済的リスクを取れるのかどうか。そこはとても重要。
そこに問題がなければ、何を躊躇するの?って感じ。
経済的リスクの回避は、だいたいやることは決まっている。
自分がやりたいことをビジネスと結びつける。
または、自分が最高に向いているビジネスでしっかり稼いで、好きなことをする。
もともと、生き物ってただただ生きてるだけ。
人間=生き物
ただただ生きるだけで良いのに、こんなに大きな頭脳がついているから、なんだかよくわからなくなってくる。
「生きる意味」「年上は敬え」「偉い人」「頭のいい人」「才能のある人」
「これは絶対にあなたには無理」「絶対しちゃダメ」「そんなことに意味はない」
「みんなに合わせなきゃ」「自分だけ違うのかな」「自分は才能がない」
人は、「ないもの」を「ある」ように見せるプロだ。
生きてきて気づいたことが、人はないものをあるように見せている。
「生きる意味はある。」という人がいる。 それは、自分で生きる意味を見出し、信じることで形あるものになる。もともと、存在しなかったものを自ら作り出し、信じさせることによって生まれるのだ。ということは、信じる人にとっては「ある」ということだ。
「年上は敬え」という人がいる。それは、なんの物差しだろう。長く生きている人は人生経験が豊富でいろいろ知っている?年上は偉い?
なんて勘違いなんだろう。。。 人間社会以外をしっかりと見開いた目でみれば偉い偉くないなんて、とても曖昧なことだってすぐに気づけるはず。
確かに、自分にとっていい人で尊敬できて、助けれくれる人は、自分にとって偉い人として認識されると思う。
国が認めたから、何か資格があるから、役職があるから、偉そうだから
「偉い」 という勘違いをいますぐ取っ払おう。
そして、自分が尊敬できる年上は敬ったほうがいいが、尊敬できない社会悪を生んでいるような人は、尊敬する必要はないだろう。
そんなこんなで、人間は思い込むプロだ。
他にも挙げた事例について、よーく考えてみると、思い込みだってことに気づくし、だいたいは相手がそうなって欲しいと思っていることだったりする。
ここは重要だ。
自分の言ったことが。人間は思い通りになって欲しくてたまらない。
そして、一旦頭の中で「そうなのかも」と思ったらなかなかその考えが頭から離れない。
散歩でも行って、本でも読んでみればいい。人の話なんて、大概テキトーなもんだ。
だから、これを読んだ方はただただ生きて欲しい。
自分のやりたいことや知りたいこと、世の中にどう貢献したいかをよく考えてだ。
好きなことをして生きよう!ってよく耳にするけれど、こういうことだと思う。
お金を得る手段として、世の中への貢献の仕方を考える。
そのお金は、社会へ世間へ貢献したご褒美なのだから、自由に使えることになってると思う。
人生は自由だ。(という思い込み)
さあ、自由なだけ、自由に動き回ろう!