頑張って生きていく。

自由に羽ばたいて生きて行くことを決めた、人のブログ。

風邪をひいた。効率化世界についていけない。

この世界の効率化について、今日は自分なりの考えを書いてみたいと思う。

 

そういえば、まずは、哲学の自分定義。

私は深く、思考停止せずに考え続けて、現代に必要なのではないかという結論を見つけることを哲学としてみたいと思う。

 

この世界の効率化は、もう加速し終わってるところがあると皆さんも思うのではないだろうか。僕もそんな風に感じている一人です。

 

仕事でも、勉強でも、生活でも、なんでも効率を考えてしまう。それは仕方がないのかもしれない、人間の時間は限られているし。何においても、素早く確実な結果を求める世界になっていくのは仕方がないと感じている。

そうでない世界があるのなら、そうでない世界を教えて欲しい。

 

効率化が極まってきた世界で何が生まれてきただろうか。んー。。

断定することってことはとても難しいことだけれど、自分の体から叫びたいと言ってることを挙げてみたいと思う。

・効率化が何においても、求められるようになった。

・効率化によって、一人の仕事の量が多くなった。

・世界の様々な水準がどんどん向上している?

・格差が生まれた?

・精神病が増えた?

 

こんなことを題材にしてみたいと思う。 効率化だけでこのようになったとは思わないけど、やっぱり影響はあるし、このまま効率を考える必要は本当にあるのだろうか、すでに効率だけではダメということを訴えている人もいるが果たしてどうなのか。

なんとなく、答えもわかるような気もするけれど、言葉にしてみるとまた印象が変わってくるかもしれないから、やってみることにしよう。

 

まず、効率化が何においても求められるようになった。

効率化。図書館に行けば、このような文句が含まれる書物はたくさん転がっていると思う。ここを効率化する、このように効率化する。仕事についてあげれば、「事務仕事を何倍にも早くする方法」なんて本ありそうですね。

じゃあ、何でも効率化すれば世の中はうまく回っていくのだろうか。何でも効率が良くなれば人が幸せになるのだろうか。効率が生むいいところ、悪いところを思いつくだけ挙げてみたいと思う。

確かに、スピードが向上して楽になれば、時間が短縮するし他にできることが出てきて、どんどん加速度的に成長するようなイメージができる。印刷をするスピードが上がり、パソコンを使って、とても効率的に処理できるソフトを使い、担当が臨機応変に専門として対応する。とても素晴らしいことだ。 何かの処理について、人間が待つ時間というのはなかなか無駄な時間ではあるし、長すぎると本人にとってストレスであるだろう。だけれど、一人の人間が使用しているものについて、深く知識はないだろう。何かエラーがあった時に迅速に対応することというのが、難しくなるのではないか。

パソコンにおいても、プリンターにおいても、パソコンのソフトについても、他にも効率化するからこそ不安になってしまう点はたくさんあるのではないか。 人間に精神的な悪い影響。人間の認知的な問題。など。

私は、こう考える。

 効率化について言うと、もう追求する必要はほとんどないのではないかと。

必要なのは、人間にとって適切な効率化であるし、人間が疲弊してしまうほど効率化したところでいいことはないのではないかということ。

結論。だから、ちょーどいいところでいい。

 

効率化によって、一人の仕事の量が多くなった。

本当に多くなったんじゃないかと思う。私はまだ若いので、体感的には知らないのだが、パソコンによって処理できる量がものすごい量になったのだと想像できるし。輸送でも、移動でも、何でも効率が良くなっているってなんとなくわかる。でも、人間が余裕をもって取り組めることなんてどんどんなくなってきてしまってるのではないだろうか。まあ、とてもスピーディーに物を配達できる、人が移動できるっていうのはとても便利なことだとは思うけれどね。困ってる人を助けるときに、時間はとても大切だと思うし。

だけれど、効率化がいきすぎてしまったがために、その分負担があることは確実だ。僕はその負担が、どんな危険を持っているのかしっかり分析していかなければならないんじゃないかと思っている。 取り返しがつかなくなる前に。

その負担っていうのは、一番に人間に向かっているんじゃないかと思っている。

気のせいか。

 

効率を考える。いいことだって、目の前を見れば思う。だけれど、最終的に人間を苦しめてしまうんじゃないかという予感にかられて仕方がない。

それを、しっかりとした言葉で言えないのに書くって情けないな。だけれど、漠然と恐怖を感じている。

 

 

世界の様々な水準が向上している?

 これはちょっと失敗な題材だったかもしれない。水準というと、やっぱり質と言い換えられるのではないかと思う。ちょっと違う?。

その水準っていうのは、効率化すれば効率化するほど、人間の目に見えない認識できないところが増えてしまって、逆に目には見えないが水準は下がってしまっているのではないか。最近のニュースでいろいろ目にするが、建設で基準を守っていなかったり、有機栽培と言われている野菜が、使っている肥料によって有機栽培とは言えないものになってしまった。それらは、人間が目にしてもわからない領域が増えてしまったから起こることであって、見た目の水準はどんどん向上しているように思うが、経済的な水準は下降しているんじゃないかと普通に思う。

みんなもそう思うんじゃないか。

 

 

 

格差が生まれた?

 

 日本では、確実に格差は生まれていると思う。でも、格差は必要だとは思う。だけれど、格差の最底辺の人たちが、幸せと感じられる生活。幸せと感じられる社会にしていかなければならないと感じる。やはり、大きな結果を生み出すためには競争し、競争を促すシステムが必要だということはわかる。だけれど、それで社会での優劣であったり、権力の格差が著しいもしくは、すべての人に、人間として同等の価値があるというふうに考えられない社会になってしまっては、機能しなくなってしまうと感じる。

これからは、様々な要因で、格差が生まれてしまうのだろうけれど、誰もが人間として同等の価値がある。何か優れていることだけが人間の価値ではないということを教育する必要があると深く考えている。綺麗事、ということではなく、様々な要因によって才能を活かせなかったりするし、現在の社会の中では生かすことができていないだけということがあるということ。人間の価値を、何ができる何ができないで安易に決めてしまうのは少し考えが足りないのではないかと思う。特に現代社会では。

 

精神病が増えた?

 

精神病が増えたのだろうか。昔から精神病は少なからずあったと思われるが、それが現代になって名前がついて、病気として認定されているから精神病が増えているということはあると思う。だけれど、それだけであろうか?私は、それだけではないとこの社会に生きていて感じる。

効率化する社会は、確実に一つ原因であると思う。

効率を考えるがゆえに、人と人との関わりが薄くなってしまっているのはみんな感じてしまうところなのではないだろうか。

まあ、確かに、丹精を込めて作る。そんなのは意味ないよ。どれだけ性能が良くて、どれだけ耐久性があって、どれだけ・・・etcってなってしまってる社会だからね。

でも、自分が信じている人が丹精を込めて作ったものだとして。作っている工程を知ることができて、愛着を持って使用することができるのなら、それでもいいものはたくさんある。それが文化として残っているのかもしれないけれど。文化として残っているものは、良いものが多いしね。

話を戻して、人と人とが共生する社会にならなければならないと感じている。そうじゃなきゃ、誰だって、精神的に病んでしまうのではないか。

僕からしたら、犯罪を行ってしまってる人は皆精神的に病んでしまっているのと同じように見える。

この世に生まれて、最初から犯罪をしたくて生まれてきた人間はいないと僕は信じている。確かに、生き物は何から栄養を得て生き延びて、子孫を残すのだが、自然の中にいるとしても、やはり共生が大切だと思うのではないだろうか。

犯罪を行ってしまった人を完全な悪だというのではなく、なぜ犯罪を犯してしまったのか、本当に犯罪者だけが悪いのだろうか。本人はどう考えているのか。どのように考えを変えていけるだろうか。そんなことも考えていかなければならないのではないだろうか。

確かに、システム的に、犯罪を犯した人は裁かれるということが必要だ。抑止になると思われるし。

だけれど、犯罪を犯してしまった人たちとも、共生していかなければいけないと感じるところがある。

僕は、世の中のニュースを見ていて、犯罪を犯した本人は確かに悪いことをしてしまったのかもしれない。だけれど、本人だけが悪いわけないということは明白だろう。

その、グレーな部分を細かくしっかり見ていかなければならない。そうしなければ、とてもかわいそうな人がたくさん溢れてしまうと考えている。

 

 

以上。こんな考えを私は抱いているし、これを哲学とは言えないのかもしれないが、自分の哲学だと信じて、ひたすら考えていきたいと思っている。

 

効率化に伴って、社会が活性化しているということはとても良いことだと思うが、その反面、これは素晴らしいと思考停止してしまったら、悪い面が大きく肥大してしまう前に見つけることができなくなってしまうと考えるからだ。

 

人間は、考え続ける。 現代に合わせて考え続ける。

 

人間とは考える生き物。  

 

つまらない人生だと感じる時もよくある。だけれど、何かについて考えていると、考えて自己満足して死んでいければいいんだと悟れる。

 

考えていこう。