頑張って生きていく。

自由に羽ばたいて生きて行くことを決めた、人のブログ。

人間の存在の仕方。自殺。

お疲れ様です。

 

今日はなんだか、暗い話になってしまうのだけれど、自分はこういうことから目を反らせない人間なんだろうと思う。いや、目を反らせるからこそ、自殺まで至っていないのだろうな。

 

でも、これは、今までそしてこれからも問題になり続ける人間にとって、最大の問題だと思われる。

 

この問題を解決すること、それはとても有意義なことであるし、それによって、世の中であったりが少しは良いと感じる世界に変わるのだと思われる。

 

人間の存在している意味は、極論、ないといえばない。あるといえばある。

具体的に言うと、この全世界からすると、存在しなくなったとしても、大した問題ではないということ。

だが、生きていることによって、周りに迷惑もかけるが、それ以上に生きていることが周りを助けることになるから、生きている意味があるという言い分です。

 

私は、この世界に生きとしいける人、物、生き物、すべてに価値があると信じています。どんなに足を引っ張ったとしても、今後、改善してけることを改善していけばいいのです。助け合えることは助け合っていくことが大切です。

何も生み出していない、そんなことで悩まなくてもいいと思います。生きることしかできない人、それしかできなくても、生き続ける。食べ物を食べる。考える。考えられなければ、それは人間として生きていることにはならないとは思いますが、それが人に何かを教えるかもしれません。何かを発見するヒントになっているかもしれません。必ずと言っていいほど、意味はあるのです。

 

その意味に気付いていないから、意味がないと周りが思うだけなのです。

 

意味がないと心から言っている人がいたら、かわいそうな人です。その本当の意味。価値に気づいていないということだからです。

 

私は、この世界のすべての人に価値があると思います。それは、自分にも向けているのですが。(自分の自尊心を保つ為)

 

生まれてきた命が、自ら絶つようなことがない方がいいと強く思います。

 

私は、いつかそれを防止する仕事に貢献したいと思います。自分で、行ってもいいと思っています。

 

このことが全世界の人が理解して、分かち合ってくれるだけで、この世界は随分と豊かになるはずだと思っています。

 

今の人間に必要なものは、お金だけではありません。人それぞれが胸を張って生きていくことです。

 

自信がない。私は、どうにかしたいです。自信を砕くものがありすぎて、恐ろしい世の中。。

 

自信を復活させたい。

 

きっと、昔の人たちもたくさん考え、悩んだ問題であると思います。

 

多くの信仰宗教も、もともとはこのようなことを目的としていたのではないかと思っていたりもします。

 

綺麗事なのかな。。

 

真面目な人は、この世界で生きていくことがとても大変です。でも、その分とても立派なことをしてるという自負も持って欲しいです。

誰に評価されなくとも、胸を張って欲しいです。

 

生きていることは、とても大変で辛い。でも、とても楽しくて、幸せな事。

 

矛盾しているようで、矛盾していないんです。

 

人の心の中から全ては生まれる。

 

辛い事は辛いじゃないかと、言うと思います。でも、それは幸せなんです。

 

理論崩壊しているような、文章しか書けていませんね。。

 

生きる事が虚しくなってしまった方へ。

 

私と話をしましょう。

 

チャットでもなんでもします。

 

 

せっかく生まれたのですから、幸せに生きたいですね。。

自尊心の欠如。

お疲れ様です。

 

今日は、自尊心について書きたいと思います。

 

前も書いたかもしれないんですけれど、私がまた悩んでいるので書きたいと思います。

 

私は自尊心が弱いです。 自尊心が弱いと、主体的ではなくなります。

 

他人のために行動することが、自分の安心につながってしまったりします。

いいことのような気がしますが、度がすぎるとどうなるかわかりますよね。自分が壊れてしまうのです。

 

そんな、自尊心が弱いことによって色々な問題が起きていることに本人が気付いていないことが結構あるのではないでしょうか。

 

自尊心は、小さい頃に自分の思ったことができなかったり、自分の考え、意見を抑制されてしまった経験が多ければ多いほど、弱くなってしまうみたいです。

 

自分も、思い返せば思い当たるところがたくさんあり、自分がこんなにも生きづらいのは自尊心が弱いためだと確信できます。

 

これを読んでる、自尊心の低いと思うみなさん。

 

自尊心を一緒に高めましょう。そうしないと、必ずと言っていいほど幸せは訪れないでしょう。

 

自分を大切にしましょう。

 

自分を大切にすることが一番大切です。

 

僕は、自分を大切にしたい。

 

いつも強く思ってる。自分を大切にできてる時はできている。でも、強い自尊心の持ち主の人と対峙した時、自分の考えや気持ちを押さえつけられると蘇ってくる。

 

自分の意見を言ってはいけないんだ、言いなりになろう、そうすれば相手のためにもなる。自分が犠牲になれば、みんな幸せなんだ。

 

そんな風に考えてしまう。 優しさでもあるのかもしれない。

 

でも、自分が犠牲になってしまうのだ。それが、とても理不尽なことだった場合。とてもじゃないけれど生きていけない。

 

そんな風になってしまうんだ。

 

僕は幸せを願う。幸せを求める。楽しむ権利がある。自分には生きているだけで価値がある。

 

信じよう。自分の価値を。

 

自尊心の低い人達が、幸せになれることを心から願っています。

 

自分も幸せになれる。

 

なれるんだ。

眠くなってしまうタイミング

お疲れ様です。

 

今日もなんとか仕事が終わり、ゆっくりしています。この一時もとても幸せに感じます。

というか、幸せに感じるように意識して努力しています。

なんか変だけれど。。

 

人間誰しも、仕事のために生きているわけじゃない。わかっている人にとってはとても当たり前のことなんだろうけれど、仕事場に自分の居場所として求めてしまったりする人にとっては、仕事が生きがいになったりするものだ。

仕事で嫌なこと、失敗、人間関係、いろいろなところにほころびが出てしまうと人生さえ嫌になってしまうことが多々あることもあるだろう。

 

でも、一つ言えるのはほとんどの人は仕事のために生きているわけじゃない。

楽しい休日を過ごすために、お金をもらうために、生きるために、子供を育てるために。。。。

 

仕事なんて、世の中探せばいくらだってあるんだ。努力すれば、ある程度の仕事だったらなれるんだ。そんなものだと思う。

 

仕事が見つからないと言ってる人は、甘えが出ているだけなんだと思う。

 

今日、午後の仕事はとても眠かった。帰ってしまったほうがいいんじゃないかと思うくらいだ。

 

よく考えてみてほしい、仕事のために生きているんじゃない。幸せに生きるために何事も行っているわけで、仕事で自分が損なわれて、幸せじゃなくなってしまうのならやる必要はない。

ただ、自分の幸せを確保するために大概の人は仕事が必要なんだけれど。

 

なんとなく言いたいのは、何をして生きてもいいということ。

 

誰に左右されるでもなく、自分で決めた道は死んだとしても後悔は残らないんじゃないか。

 

結局散る花だ。自分の好きなように散るのが一番。

 

 

僕は、最後まで好きに生きさせてもらうぜ神様。

 

皆さんも、好きに生きて幸せになってください。

 

では、もう寝ます。 おやすみ。。。

生きている。

お疲れ様です。今日も生きています。

 

みなさんも生きていますね。

 

なんで生きているのか、不思議に思ったり、なんだか無意味だけれど、なんとなく生きているみたいな感じの人もいると思います。

 

私は完全に、生きていることは無意味だと思っているのですが、生きているからには自分が楽しめるように、成長できるように、充実するように努力して生きています。

 

なぜ、そんな風に生きているんだろうな。なぜだろう。

 

きっと、死ぬことによって、自分というものが認知されなくなる、忘れ去られていくということが寂しいし、辛い、

 

で、せっかく生きているんだから、楽しく、幸せに生きていきたい。

 

普通そう思うよね。

 

でも、それがなかなか実現できなかった時、人間はとても苦しむ、

みんな知ってるよね。そのくらいのこと。

 

その人間の感情って、結局自分自身が作っているものなんだよね。

勝手に思って、勝手に楽しんで、勝手に苦しんでいる。

 

だから、自分の感情をコントロールすることによって、辛いことも楽しい事嬉しい事に変えられるかもしれない。その状況を楽しむ事だってできるのが人間なんだ。

 

じゃあ、どうしていけばいいのだろう。

 

それは、自分が幸せであって、楽しく生きているという事を思い込ませる事。自分なりに自己満足する事。

 

だって、他人と比べるものじゃない。 自分の幸せは、自分にしかない。むしろ自分でしか作れないんだ。

 

だから、どんな状況にあっても、幸せになる事は出来るんだ。ただ、訓練が必要だけれど。。

 

結局、辛い時は辛いものなんだけれどね。

 

僕は現在、大変だけれど、なんとなく頑張って生きています。

 

大変と思うのも、自分の勝手で、ただの思い込みでもあるのだけれど。本当はその大変というのは、普通のことなのかもれないしね。

 

グダグダになってしまったけれど、みんな生きててよかった。

 

みんな、自分なりに生きていればそれだけでいいんだともう。

 

僕は、それぞれがそれぞれの目標、願望に向かって生きていければそれだけでいいと思う。

 

そう、僕ももう少し自分の欲望に素直になって、生きていこう。

 

我慢するのはやめよう。

 

言葉にしよう。

 

どうせ、灰になってしまうだけなんだから。

黄昏の幸せ。

みなさんどうも。 無理にならないようがんばって生きていますか?

 

久しぶりの記事になります。

 

今の仕事にもある程度慣れてきて、少し前の自分より大人になったような、変わってないような。。

でも、仕事を長く続けるということはとても大変なことで、3年、4年、5年と続いたとしても、6年目を続けることはとても大変なことなんじゃないか、ということにやっと気付くことができた。

今問題になっていることが片付いたとしても、次の問題が姿を現してくる。それを永遠と繰り返していく、それが人生であるのだと強く感じた。

仕事を続けられるかは、まさにこの問題をうまく解決し続けていくことができるかどうか。自分が潰れないように要領よく進めていけるかどうかなのだと思う。

 

それがなかなか難しい。

 

そう思ってしまうことが、自分を追い詰めてしまっているのかもしれない。そこまで難しくない。続いたら続ければいいし、今の問題を自分の負担をなるべく減らして解決する方法を訴えていくしかない。それでも自分が潰れてしまったら、それが辞める時だったとなるだけだ。

 

続けることはとても大切だが、自分が病気になってしまったり、次につながらなくなってしまうほど潰れてしまうなら、いつづける意味もないし、続ける必要は全くないんだと思う。

 

同じようなことを、前記事に書いたような気がするが、とても重要なことであると思う。

 

誰かを頼る、無理なら無理という。そうやって進んでいくしかない。

 

今日は、なんだか黄昏てしまっている。曇り空、見ていると寂しいような淋しいような。

 

 

人の人生とは、なんの意味もないとも言える。

でも、意味があるものと信じて、意味があったと感じる人生にして、自己満足して死ぬことが一番の幸せなんだと思う。

 

僕は、そうやって死んでいきたい。

 

自分の好きに生きればいい。

 

生きて死ぬ。生き物だもの。

愛と死。

彼女の猫が死んだ。

 

年初めに脳卒中になって、一命を取り留めて何とか病院に通って生きながらえていた状況だった。

今年で15歳になる猫だ。猫で15歳というと、人間では80歳くらいになるのだろうか。

彼女はその猫と一緒に育ったと聞いていた。妹のように可愛がっていたらしい。

 

それが、昨日息を引き取った。

 

彼女は泣いてばかりいる。僕は慰めの言葉しか送れない。

 

猫一匹にも、これほど愛を込められる彼女。僕は、こんな彼女を持てて本当に幸せだと思う。

 

僕はこの彼女の愛によって、今頑張れてるとすごい感じる。

 

愛って、それだけすごい力なんだと思う。

 

愛は子供を育てるって聞くけど、それも本当。

 

愛がなきゃ、子供は育たない。

 

子供はじゃないんだと思う。大人だって、愛がなきゃそだたないんだよ。

 

でも、愛ってすごい抽象的。 具体的にしようとすると、なかなか掴めない。

 

 

人間はこんなに大きい脳みそを持っているけど、この愛の力っていうのを本当に理解している人は少ないのかもしれない。

 

愛したいな、愛されたいな、

 

愛しいな、愛しいかな。

 

愛。

 

 

僕は、愛のある。愛し合う。

 

愛の中で生きて、愛の中で死んでいきたいな。

 

ついに正社員。

お疲れ様です。

 

今日は、仕事がうまくできなかった。そう自分でとっても感じる。それは、段取りがうまくできていないからだ。

 

まずこれをして、これをして、これをする。1日のスケジュール管理をしっかりすることが大切なんだと思う。

そして、次に大切なのは、そのやる仕事をどのように要領よく進めていくかである。そこが自分は苦手なところだ。少しでもイレギュラーなことが起きてしまうとうまく対応ができなくなってしまう。その時に焦らずに、一つ一つ問題を解決していくことがスムーズに進む秘訣なのかもしれない。

 

明日は、早めに出社して、スケジュールをしっかりとまとめよう。あせらず、正確に、そしてなるべく早く仕事をこなしていこう。

今日の自分をしっかりと超えていこう。今日は何が悪かったか。それは、時間がかかりすぎているんじゃないかと不安になり他の仕事に手を出したりして余計時間がかかってしまっていることだ。 やり始めたことは、最後まで切りのいいところまでしっかりやる。それを意識して明日は取り組もう。どんなに時間がかかったとしてもそれが自分だ。そこからどれだけ早くできるかでいいんだよ。じっくり正確に取り組んで、成果を出していけばいいじゃないか。頑張ろうじゃないか。